世界陸上で注目を集めている日本の短距離ランナー、鵜澤飛羽(うざわ とわ)選手。
200mでアジアチャンピオンに輝き、日本陸上界の次世代エース候補として話題になっています。
そんな彼のバックグラウンドをたどると、実は元々は「甲子園を目指す野球少年」だったという意外な過去があります。
右肘のケガをきっかけに陸上へと転向し、わずか数年でインターハイ、そして世界へと駆け上がったストーリーは驚きと感動にあふれています。
そこで今回の記事では、鵜澤飛羽選手の プロフィールや中学や高校、さらに野球から陸上へ転向した経緯や、これまでの記録・実績についてわかりやすく紹介していきます。
鵜澤飛羽(うざわ とわ)のwikiプロフィールや経歴!年齢や身長体重に出身地は?

画像引用:X
プロフィール
名前:鵜澤飛羽(うざわ とわ)
生年月日:2002年11月25日(2025年9月現在は22歳)
出身地:宮城県柴田郡大河原町、生まれも育ちも日本
身長:182cm
体重:59~62kg
所属:JAL(2025年4月1日入社)
出身校:筑波大学
専門種目:陸上競技・短距離走(200mなど)
趣味:マンガ、アニメ、ゲーム、自称「陸上をやってるヲタク」
経歴
鵜澤飛羽選手は小学3年生から野球に打ち込み、甲子園出場を目指して中学まで野球一筋の生活を送っていました。
しかし中学時代に肘の怪我により野球を断念し、高校進学後は陸上競技に専念することになります。
築館高校時代は本格的に短距離走へ転向し、わずか1年半でインターハイでは100m・200mの2冠を達成。
その活躍をきっかけに全国的な注目を集めました。
その後、筑波大学に進学し、関東インカレや日本インカレで優勝。
さらに日本選手権やアジア選手権でも複数回優勝を果たし、着実に実力を伸ばします。
2023年にはアジア選手権と日本選手権で優勝し、世界陸上にも出場して準決勝進出。翌年の2024年パリ五輪でも200m準決勝への進出を果たしました。
2025年からは日本航空(JAL)所属となり、アジア選手権2連覇、日本選手権3連覇の実績を積み重ねています。
自己ベストは2025年韓国クミで達成した200m20秒12。

ちなみに200m世界記録は2009年のウサインボルトの19秒19です。この記録は16年破られていません。
鵜澤飛羽は怪我で陸上に転向!築館中学時代は甲子園を目指す野球少年


鵜澤飛羽選手の出身中学は宮城県栗原市の栗原市立築館中学校で、野球部に所属しセンターで1番打者として活躍していました。
憧れの存在はイチロー選手で、その背中を追いかけるように日々練習に励み、周囲からも「甲子園を目指す野球少年」と期待されるほど真剣に打ち込んでいたそうです。
しかし、中学3年生の春に遠投練習中に右肘を痛めたことで、長年続けてきた野球を断念することに。
転機となったのはその後で、2017年の宮城県中学校総体に陸上競技で挑戦すると、男子200m決勝で23秒06をマークし、いきなり優勝。
野球から陸上へと競技を切り替える大きなきっかけとなりました。



中学校の総体でいきなり優勝はすごいですよね!
栗原市立築館中学校


画像引用:X
・栗原市立築館中学校
・公立中学のため偏差値なし
・〒987-2215 宮城県栗原市築館高田2丁目8−1
・学校HP
【世界陸上】鵜澤飛羽は野球少年から陸上へ!築館高校時代はインターハイへ
宮城県高校総体代替
— 月陸Online/月刊陸上競技 (@Getsuriku) August 10, 2020
男子100m
鵜澤飛羽選手(築館3)
予選10.62(-2.6)
準決勝11.35(-3.3)
決勝10.62(-3.4)
強い向かい風で、目標の日本選手権標準記録A(10秒40)には届きませんでしたが、条件さえ良ければ十分狙える力を見せた鵜澤選手。次のレースも注目です。 pic.twitter.com/nky0uP8yYk
鵜澤飛羽選手は2018年春に宮城県の築館高校に入学し、陸上部に所属して本格的に陸上競技を始めました。
高校1年時は東北地区の大会で準決勝まで進出するなど着実に経験を積みましたが、全国レベルではまだ目立った成績はありませんでした。
しかし、2年生の2019年に急成長を遂げ、沖縄で開催された全国高校総体(インターハイ)では男子短距離の100mと200mで2冠を達成しました。
これは男子短距離の2年生による2冠としては実に28年ぶりの快挙でした。
記録は追い風参考ながら、100mで10秒19、200mで20秒36という高校生として非常に高水準のタイムをマークし、桐生祥秀やサニブラウン・アブデルハキームに次ぐ実力を示しました。
さらに同年9月には200mで20秒83の自己ベストを記録し、高校2年生歴代4位の記録となりました。
10月のU20日本選手権でも100m・200mの2冠を果たし、着実に力をつけていきました。
高校時代は指導者の石川雄二氏のもと、故障に苦しみながらも記録を伸ばし続けました。
野球からの転向後、短期間で全国トップレベルの短距離選手として名を馳せる存在となりました。



今や、日本陸上界の次世代エース候補です!
宮城県築館高等学校


画像引用:学校HP
・宮城県築館高等学校
・偏差値48(宮城県内高校 72位/172件中)
・〒987-2203 宮城県栗原市築館下宮野町浦22
・学校HP
鵜澤飛羽はオタク界のスプリンター!彼の好きなアニメや漫画、推しキャラについてまとめました↓↓↓


まとめ|鵜澤飛羽の中学や高校はどこ?築館中時代は野球少年で築館高でインターハイへ!
いかがでしたでしょうか。
鵜澤飛羽選手は、小学校から中学までは野球に打ち込み、甲子園を夢見る球児でした。
しかし右肘のケガにより野球を断念し、中学3年で陸上に転向。
その後、高校ではインターハイ2冠、大学では日本選手権やアジア選手権を制するなど、瞬く間にトップスプリンターへと成長しました。
今では200mの自己ベスト20秒23を持ち、日本代表として世界の舞台で戦う存在となった鵜澤選手。
順風満帆な道のりではなく、挫折と転機を乗り越えて掴んだ現在だからこそ、その走りには多くのファンが惹きつけられています。
今後の国際大会でも、さらなる飛躍が期待される選手といえるでしょう。
少しでもお役に立てれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた!
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