奥野卓志は高知県の財閥出身?曽祖父の野村茂久馬は実業家で土佐の交通王

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銀座の高級サロン経営者であり、政治団体「ごぼうの党」党首としても注目を集める奥野卓志さん。

派手な見た目や奇抜な言動の裏には、実は由緒ある家系のルーツが隠されています。

ネット上では「高知県の財閥出身では?」という噂も飛び交っていますが、果たしてその真相は? 

そこで今回の記事では、奥野卓志さんのプロフィールや経歴、そして曽祖父・野村茂久馬氏にまつわる“土佐の名門一族”の実像を詳しく解説していきます。

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目次

奥野卓志は何者で誰?プロフィールや経歴!年齢や身長体重に大学はどこ?

画像引用:YouTube

プロフィール

名前:奥野 卓志(おくの たかし)
生年月日:1974年4月8日(2025年現在51歳)
身長:185㎝
体重:不明
出身地:高知県→大阪市住吉区
学歴:出身高校として、中央大学附属高等学校(中大付属)に在籍し、退学(中退)した後、科学技術学園高等学校(通信制)でお世話になったとの情報あり。大学には進学していない。
国籍:日本

経歴・職業

奥野卓志さんは、政治団体「ごぼうの党(護防の党)」の党首を務める実業家です。

銀座の高級会員制サロン「銀座一徳」のオーナーとしても知られ、ホステスのいない社交サロンを3億円の内装費をかけて作り上げたとされています。

美容・健康製品や住宅設備機器を扱う「東洋ライフサービス株式会社」など十数社を経営し、20歳の頃から実業家としての道を歩んできました。

交友関係も幅広く、本田圭佑、武尊、ボブ・サップ、武井壮など著名人との親交があるほか、TOBE代表の滝沢秀明さんとも関係が深いといわれます。

結婚は「バツ2みたいなもの」と語っており、子どもはいないようです。

2022年7月の参院選では「ごぼうの党」代表として出馬し、若者の政治参加を訴え、約19万票を獲得しました。

ぽんた

大学には進学せず、19歳で孤独な時期を経て起業したとされます。

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ごぼうの党|奥野卓志の曽祖父は野村茂久馬!土佐の交通王と呼ばれた実業家

画像引用:Wikipedia

曽祖父・野村茂久馬の人物像

名前:野村 茂久馬(のむら もくま)
生年月日:1870年1月30日
没年月日:1960年2月11日(享年90歳)
出身:土佐国安芸郡奈半利村(現・高知県安芸郡奈半利町)
職業:実業家、貴族院議員
異名:「土佐の交通王」

野村茂久馬の経歴

奥野卓志さんの曽祖父にあたる野村茂久馬(のむらもくま)氏は、「土佐の交通王」と呼ばれた高知県の偉大な実業家です。

明治から昭和にかけて、高知県の海運や陸運の発展に大きく貢献し、とさでん交通や新高知重工の前身となる企業を創設しました。

また、坂本龍馬像(桂浜)の建立責任者や、板垣退助像(高知城)の再建事業にも尽力するなど、地元の発展に情熱を注いだ人物です。

さらに、吉田茂・濱口雄幸といった歴代総理大臣とも親交があり、高知県の多額納税者として貴族院議員を務めた経歴もあります。

その功績を称え、高知市丸ノ内には野村茂久馬像が建てられており、その題字は吉田茂によるものです。

令和元年には生誕150周年を記念する特別展も開催されました。

野村茂久馬には10人の子どもがおり、長男の好之氏(野村自動車元取締役)や五男の好喜氏(土佐酸素元社長)など、多くが実業家として成功しています。

次女の孝子氏は近森病院の創設者・近森正博氏の妻であり、まさに名門の系譜。

こちらの動画で、曽祖父が野村茂久馬さんであることを話されています。

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